美術

美術館に行くのが好きになったのは20台半ばごろからだろうか。高校生のころ、そして広島の大学にいた頃は、美術を見に行く習慣なんてものはほとんど無かった。ところが大学院時代、大阪で過ごしているときに、少ないながらもそういう機会があったのだ。美術という、なんだかわからないものを意識するきっかけになったのは森村泰昌の展示だ。古典的な名画にお世辞にも美しいとは言えない(失礼)オッサンの顔がはまっている、そういう作品を見て、「美術ってなんなの?」という思いを抱いたわけである。その後も現代美術のインスタレーションなどを何回か見に行った。「お笑い系」とでもいうか、見た瞬間に笑ってしまうようなものが多い。

普通ならここで「わけわからん」と思って、美術鑑賞を通り過ぎてしまうのだろう。でも立ち止まってすこし考えてみる。自分は「超ひも理論」という、一般人からみたら全くわけのわからんものをやってきたわけだ。他人からみれば「高次元宇宙」とか「量子重力」は全く訳がわからないだろうが、やってる本人は真面目だし必死にやっている。ひょっとして現代美術のギャグとしか思えない作品たちも、全く同じではないか。本人たちはそれなりに必然性のある作品を真剣に作っているはずである。そうして、作り手が何を考えているのかが気になりだしてきた。

その一方で、美術館そのものがかなり快適な空間であることに気づく。静かで、展示は周到に配置されていているので癒される。美術館という建物自体に「空間」への配慮がゆきとどいているので、そこにいるだけで気持ちがいい。現代・近代・古典問わずその雰囲気は同じだ。おそらく美術業界全体にある種の基準があるのだろう。





普通の人の「わけわからん」の中に少しでも必然性とか夢、希望を感じ取ってもらう。



その後も何回か現代美術展を見にいった。

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